hikaru yamadaのtiny pop 年表①

2014年春頃? 

んミィさんにフォローされてその存在を知る。初期の名曲"素人AV女優""黒人""スナッフビデオ(これはのちのwhisper of the heartの元曲)"など

ライブラリアンズのボーカルに似ているとのことで仙台のバンドumiumaを教えてもらった気がする。

 

 

2015年末?

んミィさんのカバーをsoundcloudに上げていたmukuchiさんを知る。曲らしき何かがちょうど形成されはじめる時期のマリさんを知ることになる。初期の名曲"午後は14時、漁村駅西口で""追いクリスマス"など。そしてその直後に激キラー曲"海の生き物"が発表され衝撃を受ける。

 

2016年春

私がPOWERの人たちとやったイベントに東京に越してきたんミィさんんが来てくれていた、らしい

 

2016年5月

入江さんにボツにされたトラックをマリさんに送ったらすぐに歌載せて送り返される。トビウオという曲が完成しhikaru yamada+mukuchiというユニットが出来上がる。のちのfeather shuttles forever

 

2016年6月12日

神戸space eauuuにてhikaru yamada+mukuchiの初ライブを行う。時期尚早過ぎてお客さんが3人だったがその中にINDGMSK aka台車さんが来ていてお話する。前後して台車さんとタイさんが作っていた90年代シティポップのミックスを聴きひっくり返るほど衝撃を受ける(88年生まれの私は90年代の日本の音楽なんて本当に気色悪い不気味なものだという印象しかなかったので。転倒した)

 

2016年夏

hikaru yamada+mukuchiの曲がどんどんできる。量産

 

2016年9月17日

ダンボールレコード主催<紙板的大音響>というイベントにmukuchiバンド(mukuchi/hikaru yamada/ウッチェリ/バイク王)で出演。これは中条さんに「もし来られるならゲストにしますよ~」と連絡を受けたマリさんが、ライブハウス文化を知らないためゲストで出演してくださいという意味と取り違えたことが発端となった出演だった。ウッチェリさんがマリさんの曲の譜面起こしをして、その構造のヤバさが明らかになる。

 

2016年9月18日

仙川タイニーカフェにて、hikaru yamada+mukuchiのライブを行う。20曲ほどやった気がする。小さいお店に30人以上お客さんが来てくれて嬉しかった。お店の常連客とのトラブルを未然に回避するために自分達の音楽を"しょぼいポップス"だと説明する一幕があった。アフリカレーヨンの二人が岡山と秋田から駆けつけてくれた。この日はもともとんミィさんを誘って三人編成でヤングマーブルジャイアンツみたいな感じでやりませんか?と思っていたのだがんミィさんがその頃メールをチェックできていなかったらしく実現しなかった。マリさんのことを知ることができたのはんミィさんのおかげだし、なにかで返さないとと思っていたがその機会は翌年に訪れる。

 

2016年冬

hikaru yamada + mukuchiで曲を量産する。"ジュース"・"アイス賭博"など

んミィさんのsoundcloudに女性とのデュエット曲がたまにアップされるようになることに気づく。